日本の誇る「世界の障害馬術選手」をご紹介します.......


最終更新日:1998/3/6

【馬術情報】97年12月号より、中野選手による「Jumping講座」実例による競技馬のトレーニングが連載されています。障害馬術をしている方は必見です!

中野選手のQuickTime Theater では中野選手の3本のムービーを見ることができます。(テレビ番組・アトランタ走行・OPからのメッセージ)

日本障害飛越競技界のスーパースターである 中野 善弘さんはロサンジェルスソウルオリンピックに日本代表として出場しました。彼は バルセロナ・オリンピックの時も出場資格を取っていたのですが、不幸なことにオリンピック直前、主戦馬である「ジャストジェームス(オーストラリア産サラブレッド)」が疝痛のためヨーロッパで死亡してしまったため、出場は果たせませんでした。その悲しみと絶望はいかほどであったか、私たちには想像もつきません。

ショックに打ち勝とうとでもするように、それからの中野選手の活躍はめざましいものがありました。小学校から乗馬を始め、2度のオリンピックを含む数々の国際試合出場の経験を持つ中野選手でさえそれまで一度も勝てなかったのは全日本の大障害選手権。バルセロナの翌年、1993年の全日本大障害飛越選手権を 愛馬シドニーシンフォニー (オーストラリア産サラブレッド)で優勝、大障害選手権制覇という14年の悲願は達成されました。また、同時に中障害飛越競技選手権をグレナディールで優勝という2種目制覇の偉業でした。翌年、1994年のボルボカップ・日本サブリーグ(CSI-W)もシドニーシンフォニーで制覇しました。

(写真はストックホルムの世界選手権、乗馬ジャストジェームス)

3度目のオリンピック出場となったアトランタでは、フランス産セルフランセのSISAL DE JALESNES に騎乗して決勝進出にかけましたが、惜しくも決勝進出ならずでした。

写真をごらんになって分かるように中野選手はハンサムであるばかりでなく、スターに必要不可欠なカリスマ性があります。中野選手と同じ馬場で馬に乗るだけでも光栄に感じますし、その一挙手一投足が他の指導員や会員の注目の的になります。その 指導法は彼の卓越した馬学と経験に裏付けられて、シンプルかつ正確です。なにげない、ただの一言のアドバイスで馬の動きが見違えるように変わってビックリなんてことはしょっちゅうです。 


私の愛馬、Pooh (MC)ディキーラは中野さんのお見立てで手に入れた馬です。 これからもずっと輝く障害のスターでいてくださいね、中野さん!!

中野選手の DATA SHEET
名前中野 善弘
身長175 cm
体重 70 Kg
誕生日1958年6月2日
双子座、39 才
出身地大阪
家族奥様と2人の子供の4人家族
趣味ゴルフ
学歴大阪学院大学


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